健康産業オンライン

国民は健康になる義務がある

 京都大学のカールベッカー氏が言っている。「米国人はリスクがあってもヘルメットをかぶるか、かぶらないは自由であるが、日本人はリスクを回避できるならヘルメットを装着する義務がある。なぜならば、事故に直面しても米国人は任意の保険制度のもとにあり、日本人は皆保険に守られているからである」と。
 問題は、政府も学者も、我が国の医療費問題と保険制度の現実を殆ど考えていないか、行動できずに躊躇しているか、諦めている状況にあるかであることだ。保険制度は事実上の破綻状況に突入したという指摘もある。ICU(集中治療室)の設置が遅れ、乳幼児の死亡率が高いとか、産婦人科医の激減で地方での出産が難しいとか、皆保険といいながら、同一のサービスを一律に受けにくい状況が広がり、一方で、医療サービスを受けられない無保険状態の人々も急増しているなど。
 皆保険を維持するためには、生活習慣病の原因たる生活習慣の健全化は義務であるはずだ。しかし、健康規律のようなものが徹底せず、病気になれば病院にお任せという風潮が市民の側にも根強い。そうした無原則な契約を助長しているのが、厚労省の健康政策である。予防領域は医療の領域と断じ、国民が健康になるモチベーションを奪い去るばかりである。米国の健康栄養政策との大きな違いがここにある。識者の間でも「国民皆保険をやめよ」という声も上がっている。国が破綻する前に、破綻の要因たる皆保険をやめてはどうかと。


 この事態に健康産業はどのような役割を果たすのか。トクホ制度も真面目な議論を積み重ねることで、合成の誤謬ではないが、途方もない議論を生み出してしまった。機能性食品は生活習慣病の予防、医療費の削減へと夢は広がったが、各論議論に入れば一つ一つに、正確さ、エビデンスが求められ、表示制度も曖昧で、作り上げられた制度は何を目指すものか分かりにくいものに落ち着いてしまった。議論の中心に医療関係者が係わってきたことも影響している。
 
 『健康はモチベーション、医療はセフティーネット』である。健康をセフティネットにしようとしても、それは無理な話であり、幻想だ。受益者負担のサプリは医療費の掛からない健康増進策である。前回も触れたが、日健栄協で進む機能評価モデル事業も、学者の貧困な議論により第二トクホ化が進んでいるように漏れ聞く。医療費削減や生活習慣病の予防の視点なくして、またしても健康食品の議論において「合成の誤謬」を繰り返す議論など、無意味であると断じざるを得ない。

行政・業界ニュース

企業ニュース

特集

PAGE TOP