薬事法の運用上の是非はともかく、体験談は体験談としていいのではないかという主張がある。疾患+α→治癒、こうした場合に、多くの体験者は「αで治癒した」と判断することがある。しかし、「αは疾患に効く」ということを当事者以外が一般論として喧伝するには、αについてのエビデンス(再現性?)が求められるというわけだ。機能表示はエビデンスが必要だが、体験談としては良いのではという主張の根拠である。食品由来であるために再現性が低いものでも一定の割合で発現するものと証明されれば、ようやく機能表示が可能になるということか。このところは多くの人が理解できる話である。
かねてより「体験談はだめ」とする当局の判断に疑問を呈する声はあった。個人的にいうことに問題はないが、販売方法が複雑になる中で、販売に提供される情報としてどうかとなると、やはり冒頭の議論になるのか。問題は、販売に当たり、個人的な体験談を紹介する場合の手法である。体験談が生まれる背景には、「治った人」が手を上げて、その人の話を聞くというような仕組みとならざるを得ない。「治らなかった人」も当然いるわけで、そのあたりをどうするか。ルールがないために、販売業者は「事実の声ではないか」とし、行政は「特定の人の声ではないか」ということになる。多くの違反事例がネット上でも散見され、当局は厳しく対処している。
しかし、特定の人であれ、「実在の声」であれば、可能性の領域として、聞きたい、知りたい、という消費者は多い。だめとかいいとかのためにする議論はTPPの議論と似ている。要は情報を求める消費者に如何に多くの有益な情報を提供できる仕組みを作るかの出口の議論である。近々、健康産業新聞で、興味深いインタビューを紹介できるかもしれない。乞うご期待。