厚労省の「統合医療の在り方」検討会の4回目の会合が先月開かれた。各委員の論点が噛み合わず消化レースのような不愉快さが残った。全体としては消費者視点の欠如の甚だしさである。
そもそも、こうした議論は、厚労行政の点検から始まらなくてはならないであろう。「健康日本21」は50項目の目標に対し、40項目が未達で、来年度から2次目標が目標を下方修正しスタートする(詳細健康産業新聞9月5日)。この間、国民の健康は悪化の一途をたどっている。人間ドッグ学会では、「異常なし」が過去最低の7.8%、肝機能異常が急増し「3人に一人」となるなど、ここでも健康状態の悪化が指摘されている。もちろん、厚労行政が追いつかない高齢化の問題、家族構成の減少の問題などがある。だからこそ、予防が大切だ。
しかし、というか、だからこそ、「成人病」を「生活習慣病」に改めた時に、厚労省は「生活習慣は個人の責任」と考えセルフメディケーションを勧めたのではなかったか。健康は本来自分で守るもので、医者や保険に頼る筋合いのものではない。そのためには、予防の啓発が不可欠で、十分な情報提供のために、この分野での民間活力の導入も期待された。結局、特定健診も、サプリやトクホは排除され、不発に終わっている。一部のヒステリックな消費者団体の魔女狩り?で、メタボキャンペーンとも言える広告宣伝も少なくなってきた。
検討会での、日本医師会の羽生田副会長の「代替医療は効くか」という質問に、数年前だが、朝日新聞の代替医療の記事を思い出した。秋田県だったと思う。住職が、自殺が多い県の状況を憂い、ボランティアで活動を開始した。ある時、ホスピスを訪ね、患者の女性とコーヒーを飲みながら、菩提寺の話などをして、長時間話し込んだ。別れ際にその女性が「今日のお話は、先生の注射より余程良かった」と。
高齢化社会は、医療技術よりも人間本位の医療を求めている。実験としての胃瘻などの試みはあるのだろうが、今の健常者で将来それを望む人がいるだろうか。そうならない個人の努力を促すべきではないのか。統合医療の課題はそのようなところにある。渡邊昌さんは、その辺りを医療とすべきか、もう少し控えめに、現代医療との調和をと色々お考えだが、いずれにせよ、高齢化社会は突き進む医療の技術競争でなく、最適の医療と、予防領域の開放、国民主権としての予防の権利の回復を求めているのではないか。