中国の飲料業界で話をする機会があり、少しは日本と中国の関係について情報収集をと、「梅谷庄吉と孫文」の話を孫娘の小坂文乃さんの講演で拝聴した。
小坂さんは日比谷松本楼の常務で、弁舌も爽やかで、話しっぷりは講談師のように見事だった。が、孫文を支えた梅谷庄吉のような日本人がいたことは、それにもまして、大いに誇るべき出来事で、中国と台湾と日本を結びつけるロマンが一挙に広がった。こうした話が今に伝えられなかったのは、そうした偉業を、孫文との友情にとどめたいとする梅谷の遺言にあったようだ。話を伺いながら、NHKラジオ番組「女のきっぷ」での新宿中村屋の相馬黒光さんのパン作りから、世界の革命家を匿い、困った人々を助けぬいた女性の活躍が思い出されたが、この時代の日本人は実に大きかった。
梅谷庄吉と孫文は共通の先生の紹介で出会うが、志が同じだということで意気投合し、梅谷は孫文に「君は兵をあげよ、我は財を以て支援す」といったという。梅谷は写真や映画のビジネスで、アジアを駆け巡り、香港を拠点に実業家として成功を収め、生み出された一兆円ほどの財を投じ、時には孫文の武器供与の要請に集めた武器を送り込み、辛亥革命の成功を支援したという。
日本の明治維新も中国の辛亥革命も、志に共通点は多く、多くの日本人が彼らを支えたことは知られている。今も中国でも、台湾でも、孫文は、歴史上の人物として親しまれている革命家で、映画でだったか、台湾では会議の始まりに、孫文の言葉が読み上げられるというようなシーンも紹介されていた。また、蒋介石と宋美齢の話は有名だが、孫文の奥さんの宋さんも宋三姉妹の一人で、梅谷庄吉の奥さんが、一肌脱いで中国人の二人の結婚を取り持った話も披瀝された。そもそも梅谷は長崎の生まれで、当時は長崎から上海に行くほうが、江戸に行くより近いというのだから、なるほど、飛行機がなければ、船なら上海までは寝ていていけるところだ。
日中問題は実に難しい局面だが、孫文と梅谷庄吉、このスケールの大きな二人の存在が、時空を超えて、両国の結びつきの糸口になってくれそうな気もした。ちなみに、来年から社会の教科書にも登場するそうで、梅谷の話も封印が切られるが、この難局に、もう一肌脱いでもらいたいものである。